どうしてぼくらはだめなのか

アスペルガー?ADHD?パーソナリティー障害?ぎりぎりのところでそのどれでもない夫婦の、傷だらけの日々

04:掃除機かけたよ

あなたはきれい好きですか?

 

「きれい好き」の定義はなかなか難しいですが。

 

単に「きれいな状態が好きかどうか」というより「きれいな状態が好き、かつそのために整理整頓もできるか」くらいまで求められている気がしないでもないですよね。

私は「きれいな状態は好き」ですが「そのための整理整頓」は全く苦手ですね。

自分の机の周りくらいは頻繁に整頓しますけど、ソファの上、リビングの床とかは散らかり放題です。ルンバとかあっても障害物が多くて仕事にならないと思います。

 

とはいうものの。

 

さすがに限度はあります。脱いだ服があらゆるところに散乱していたり、買い出ししてきたものがエコバッグに入ったままずっと床に放置されていたり、読みかけの雑誌が何冊も開いたまま落ちてたり、食べかけのお菓子が生身のままテーブルの上に放置されていたりすると、「これはいかんだろう」という感覚になります。

 

でも。

 

うちの妻のこっちの感覚はかなり独特で。前述のような感じでもおよそ気にしません。

気にするのは「相手が気にし始めた」とき。僕が「何か、散らかってるなぁ」といって片付けはじめると(ちなみに散らかっているほとんどのものは妻起因のものです)、「あ、この人にとってこの状態はだめらしい」といったセンサーが作動し、「自分も何か手伝ったほうがいいのかな?!」と反応しているように見受けられます。でも、本人自身に「散らかってる」という認識がないこと、そして「何をどうしたらいいのか全く分からない」(本当に「?」みたいな感じでフリーズしている時もあります)ので、結果、混乱して疲れてしまう→もうこんなのやだ!の流れにいってしまうみたいです。

 

こんなエピソードがあります。

 

ある日、仕事から帰宅すると、妻はうれしそうに「今日、掃除機かけたよ!」と教えてくれました。「そう、ありがとう!」とは答えたものの。

 

床の状態は今朝見たのとまったく同じ光景。散らかり放題。

どうやら、そのままの状態で、わずかに顔をのぞかせているフローリングの部分に掃除機をかけたということだったみたいです。

掃除機は、まず床を片付けてフローリングが見えるようにしてからかけるんだよ、と言いたいところを呑み込みましたが。

こういうところ、苦手な人にとってはわからないものなんでしょうね。今になってそう思います。

 

「散らかってる」の感覚は みんなが同じわけではない